ボツにした小説のプロローグ
せっかくなので、冒頭だけ公開します。
---------------------
プロローグ
大理石の白く滑らかな壁は、兵士の血で濡れている。
神聖な空気の中にも、どこか長閑さを感じさせた王宮。瞼の裏に蘇る、安息の日々。
何かの夢ではないかと、目を開ける。儚く浮かんでいた情景は、兵士たちの怒号、嘔吐くような濃い血臭……鮮烈に焼き付いた今の『現実』が、その全てを打ち砕いてしまう。
「……うぅ」
城内に津波のごとく押し寄せた敵軍は、獣ような哮りと何条もの『魔力弾』を放つ。閃光が跳ね回り、幾人もの悲鳴と血肉が弾けた。
「どうして、こんなことに……っ」
近衛の助力もあり、命からがら王宮へと逃げ延びた女王、シャーロットは悲嘆の声を漏らす。
予期せぬ敵軍の襲撃。それがまさか、城内にまで及んでいるとは。王宮の各所に展開された『転送陣』が、裏切り者の存在を語っていた。到底信じられないが、感情だけでそれを否定するほど彼女は子供でもない。
十八という若輩の身でありながら、シャーロットは王位を有していた。有事の際は宰相に頼ることなく、的確な指示で民を救ってきた。認識の甘さを悔いると共に、冷静さを保つよう自身に言い聞かせる。
現状を把握してからわずか数秒で引き抜いた指揮剣(タクト)には、未だ小刻みな震えが伝っている。やはりまだ、心の底に怯えが根付いているのだろう。シャーロットは女王という立場だが、そのたおやかな容姿通り、自分が少女であるという現実を覆すことは出来ない。不安が、恐怖が、情けない嗚咽となって溢れた。
「――顕現せよ!」
その間隙を衝くように、転送陣から現れた一人の兵士が、腰から指揮剣を抜き放った。レイピアのような細身で、しかしその先端は丸みを帯びている。とても殺傷能力のある武器には見えない。だが、指揮剣はその名の通り何かを指揮するものであり、剣でもあるのだった。
埋め込まれた魔鉱石を原動力に、あらゆる破壊を生み出す兵器。そう表現しても誤りではない。
兵士の言葉に応じて、指揮剣の先が眩く光り始めた。その輝きは末端から離れて、人型を取る。集束した光が弾けると、そこには豪奢なドレスを身にまとった少女が現れ、兵士の側についた。これから舞踏会にでも赴くような、高潔の淑女を連想させる。
だが、違う。これより幕を上げるのは血の舞踏だ。少女が砲弾のような速度で飛び、追い抜きざまに数人の兵士が両断された。彼女が目指す先には、呆然と立ち尽くすシャーロットの姿がある。突然の襲撃に、彼女は身動き一つとれない。その場に釘付けとなり、自身の首を狙って迫り来る少女――『戦姫』を、ただぼんやりと眺め続けた。
「……っ!」
なす術もないシャーロットの許へ、容赦ない一撃が迫り――
真横から割って入った別の戦姫が、危うくも敵の攻撃を凌いだ。
「陛下、ご無事ですか!」
間一髪、シャーロットの命を救ったのは、年若い兵士だ。女王である彼女と、そう年齢は変わらないだろう。あどけなさの残る顔を歪め、戦姫と相対している。握り締めた指揮剣には震えが走っていた。それでも彼は真っ向から敵を見据え、指揮剣の先を向ける。
魔力の基本技――砲撃。ただし、正確無比な連射だ。無数の魔力弾が放たれ、戦姫主(コマンダー)である兵士を狙撃する。それまで女王を狙っていた戦姫が、主人の許に後退した。魔力弾は見えない壁に弾かれるようにして逸れ、敵は難を逃れる。
だがその隙に、若輩の兵士が指揮剣を振り下ろした。刹那、鮮やかな軌跡を描いて戦姫が飛び出し、敵に肉薄した。攻守が逆転する。
「このまま一気に――」
そう口にした兵士が、言葉を詰まらせた。正確には、真横から伸びた炎の鞭に、喉を焼き尽くされていた。
シャーロットは我に返ったように、指揮剣を振るった。戦姫を実体化させる。
(覚悟を決めるしか、ないようです……)
王城内には敵の転送陣が張り巡らされている。城の奥へ逃げたとしても、そこが安全であるという保障はない。追いつかれるのも時間の問題だろう。この危機を乗り越えなければ、状況は変わらないのだ。
辺りに視線を走らせる。城に常駐している兵士の数は、敵軍に劣っていた。このままでは押し切られてしまう。
シャーロットは覚悟を決めた。その面持ちには、深い悲しみの影が落ちている。
指揮剣を振りかざし、意識を集中。そこへ、少女の敵影が迫った。味方の兵士がそれを防ごうと、押しなべて戦姫を差し向ける。しかし敵影は縦横無尽な動きで攻撃をいなし、時には戦姫主の巧みな誘導で宙を舞い、着実にシャーロットの許へと迫っていた。かなりの手練れだ。指示を出すのが専門のシャーロットでは、まるで歯が立たない。どころか、味方の兵ですら対処し切れていなかった。
(……あれは!?)
振り上げた指揮剣に、眩い光が集まって――シャーロットは間近に迫った戦姫を、ようやくこの目に認めた。見覚えのある顔。おのずと、裏切り者の正体も明らかになる。
(まさか、あなたが――)
彼女の思考は、そこで途切れた。
戦姫一人では捌ききれない量の光線が襲い、シャーロットの胸元を射抜く。指揮剣に集束していた光が弾け、いっときの間、血で染まる玉座を照らした。
アルテミナの女王が、その場にくずおれる。洪水のような音で溢れ返っていた城内が、一転して静寂に包まれた。敵も味方も、その動きを止めている。倒れたシャーロットの身体から、染み出すように鮮血が流れていた。
言葉を失う味方の兵。敵軍は勝ち鬨の声を上げ、場の沈黙を破った。
「……どうか、私を……、赦し……て、下さい……」
朱に染まってつや光るシャーロットの唇が、微かに動いた。紡がれるのは、か細い謝罪の言葉。そこには……何だろう、憐憫の情が見て取れた。
「……っ」
小さな花唇が、もう一度震えるように開かれ……そして、そのまま言葉を無くした。崩御したシャーロットの真意を知る者は、この世に誰もいない――。