文字によるコミュニケーション


たまには雑記でも。
ところで僕は文字によるコミュニケーションほど不完全なものはないと考えています。他人との交流を図る手段は身振り手振り、ボディタッチなど様々ありますが、その最たるものは言葉です。
人は言葉を操って他人と意思疎通を図ります。言葉はとても良く考えられていますが、つまるところ代替品に過ぎません。自分の気持ちを適切な型に当て嵌めているのです。その時点で完璧な意思疎通とはなり得ませんし、そもそも気持ちと符合する型が見つからないかもしれません。カバンの中も机の中にも型は入っていないのです。

本題に戻りますが。対面での意思疎通に比べ文字によるコミュニケーションは不完全であると考えます。チャットなどをご想像してみると分かり易いです。伝達するまでに時間を要しますし、自分の考えていることを正確に表現できません。たとえ十全な語彙の蓄えがあるにしても相手はその限りではないかもしれません。

一番のポイントは受け手側の解釈だと思います。
対面や通話では発せられる言葉に感情が付随します。しかし文字は無機質で、単一的です。例えば人の口から発せられる「好き」という言葉は、冗談っぽい好き、本気の好き、悲しい好き、楽しい好き、と同じ単語であるにも関わらずイントネーション次第で伝わり方が異なるのです。

冗談で発した言葉も、受け取り方一つで凶器へ変わります。恐ろしいですね、言葉って。
とどのつまり、文字によるコミュニケーションはより歪であり、リスクが付きまとうと思います。

小説は一人で楽しむもの。なぜなら中身が文字だからです。文字とは孤独なものであり、それを用いてコミュニケーションを図るというのはいかがなものでしょうか。

とはいえTwitterやラインなど、遠方の相手とも手軽に意思疎通を図れるのはとても便利です。利便性の高いツールがある今だからこそ、今一度文字の扱いには細心の注意を払うべきです。

そんなことをふっとトイレの中で思いました。以上です。

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